きものと帯 脇田屋呉服店

なりたち …店舗紹介…

まじめに こつこつ きもの道

昭和元年(1926)、現在の宇宿3丁目<百年川近く>で呉服と衣料品の店として開業いたしました。
昭和20~21年(1945~1946)頃、郡元2丁目<涙橋角>に移転し、現在に至るまでまじめにこつこつ商売を続けさせて頂いております。

脇田屋呉服店 なりたち
▲ちんどん屋さんが宣伝をしている

配給のお店

太平洋戦争の戦中戦後は、原料不足により、きものや衣料品、寝具などの絹製品・綿製品が統制され、配給制となり、政府発行の「衣料切符」がなければ現金があってもそれらを買えない時代がありました。
当時、脇田屋呉服店は「配給のお店」として、衣料切符交換品の様々な商品を取り扱い、きものや婦人服を中心に、寝具、紳士服ベビー子供用品まで“食べ物以外は全部ある”品揃えで、お客様のご要望にお応えする重要な役割を果たしてまいりました。


おかげさまで地域に根ざして

脇田屋よろこび会発足

昭和27年(1952)に友の会組織「脇田屋よろこび会」(当時掛金1ケ月300円)を発足し、何百人ものお客様が加入してくださいました。
秋の満会時は日帰り旅行のサービスがあり、漫才師を呼んで食事会やバスを連ねて温泉地へ行ったりとお客様との交流を大切にし、多くのお客様に支えていただきました。

▼友の会(よろこび会)満会御礼の日帰り旅行風景
脇田屋呉服店 なりたち

ちんどん屋や三味線の連

昭和40年位まで、当店の売り出しの度に、ちんどん屋や三味線の連が繰り出し、大変なにぎわいでした。小売店の数が少なく、今のように大型の商業施設が乱立することは全く想像がつかない時代でした。
売り出しの日には、お客様がご近所誘いあって、近くの方はもちろん、谷山や脇田、広木方面からバスや電車に乗って来てくださっていました。普段にきものを着用していた時代でしたから、普段着のきものから婚礼のおきものまで幅広いきものの需要があり、反物や和装品が飛ぶように売れていました。

昭和50年あたりまでは、住み込みも含め何十人もの従業員を抱え、季節季節には学生さんのアルバイトも雇わなければ、店が回らないほどの忙しさでした。きものはもちろん、布団や毛布、あらゆる衣料品を扱い、地域になくてはならない店として、おかげさまで繁盛してまいりました。


さらに専門性の高い店へ

小売店や大型スーパーなどが増え、時代が移るにつれて、取り扱うアイテム数を減らしてまいりました。永年の経験と専門知識を生かして、呉服を中心として和装品全般の販売、きもの等のお手入れ、婦人服の販売を行っています。
特に専門知識や経験を要するきもののお手入れ(メンテナンス)やリフォーム、アレンジは、多くのお客様に高い評価を頂いております。

平成21年11月新社屋が完成し、おしゃれに、粋に、さらに専門性を追求したお店となり、脇田屋の歴史にまた新しい一頁が加わりました。呉服の知識や永年の経験を備えたお店が少なくなっていく中、「脇田屋だったら信頼できる、相談できる」にお応えできる安心してお買い物ができるお店を、これからも目指していきます。
きものの選びかた、お手入れに精通している、脇田屋呉服店へ、 ぜひ、一度足をお運びください。

お問い合わせ・ご連絡先

ご相談など、お気軽にご来店ください。

鹿児島市郡元二丁目17-19
<市電涙橋電停より 徒歩1分>

TEL:099-254-1378
Fax:099-257-9122


シンボルマークについて

「運が跳ねる」うさぎ・・・三羽揃って

呉服の柄として、うさぎは「運が跳ねる」とされる吉祥文様で、きものや帯に多く取り入れられる柄です。

三羽のうさぎが三角形に耳をつないでいるかたちは、それぞれを「お客様」「問屋さん」「脇田屋」になぞらえて、三匹揃って商売が成り立つ、三角形は崩れない強さがある・・・ということで、このデザインに決まりました。
きっとお客様も運が跳ねること間違いありません。うさぎのマークを見たら脇田屋!どうぞよろしくお願いいたします。

和のスタイル

脇田屋呉服店-きもの・和装小物 七五三、成人式の振り袖、卒業式の袴、お茶席での着物、訪問着…お客様のご要望を丁寧にお伺いして、粋におしゃれにきもの姿を演出いたします。

妥協しない、きものを見る確かな目を持った、本物の呉服屋さん「脇田屋呉服店」へ、一度ご来店ください。

洋のスタイル

脇田屋呉服店-婦人服 ミセスを中心に、お手頃価格でおしゃれ感いっぱいの婦人服を品揃えしております。お客様の側に立って、しっかりとしたアドバイスをしています。

脇田屋呉服店は、お値段が高くても、また安くても、似合わないものはお勧めいたしませんので、安心してお買い求めください。